説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2012年10月29日月曜日

おんなの語り場東日本大震災vol.2 開催

思う広さの会場が取れず、また準備が遅く広報も行き届きませんでしたが、
90名を越す盛会となりました。

今年311辺りの報道の喧噪とうってかわった風化の危惧にあって、このように多くの皆様にご参加頂きました事に、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
当日お申し込みの方々にはお断りせざるを得ず、誠に申し訳なく思っております。
スリランカ女性 ヴィサーカさんから、
スマトラ沖地震津波での女性支援の経験談が発表されました。
岡崎トミ子議員と記念写真に納まる村松まつ子さん
南三陸町水戸辺で食料品店を開店予定
ジョネットが応援してきた女性です。
名刺を頂き、メモをとる女性たち
6人毎のグループに分かれ沿岸部の女性たちと懇談
女性たちが編集した震災記録集を手に取る参加者


『女の語り場に寄せて』
    東日本大震災女性支援ネットワーク共同代表 竹信三恵子

 みなさま、本日は、風邪でのどを痛めてしまい、せっかくの会合に参加できずにもうしわけありません。
 東日本大震災は、それまで見えにくかった男女の格差をもクローズアップしました。被災3県の失業手当受給者は、震災前の昨年2月は男性約1万4500人、女性約1万5000人と、ほぼ同数だったのに、震災後は女性が特に大きく増え、ピークの同6月には男性より約1万人多い約4万5000人に達しています。昨年12月末時点でも女性は男性の1・4倍で、なお男女格差が続いています。仕事を探している人も、昨年11月の有効求職者数で、男性約6万2500人に対し女性は約7万4千人と、女性の失業度が目立っています。
 実は、関東大震災でも、震災後の雇用は瓦礫の撤去など肉体労働が多く、女性や事務系労働者の失業が顕著だったそうです。肉体労働が苦手な人も経済的に自立でき、だれもが人間らしく働ける働き方を増やしていくことが、いかに、これからの復興に必要かを、この例は示しています。そうした意味からも、女性の起業は復興に大きな意味を持っています。
 また、従来、女性は男性の補助仕事が多く、自身が資金調達のため書類を作ったり、組織運営を指揮したりする機会に恵まれなかったことが女性の起業の壁になっていることも、震災を機に浮上しました。女性たちが自力で資金を獲得し、自らが必要と考えた業を起こせる力をつけることができれば、被災地は大きく変わります。
 復興とは、ただ、元に戻ることではありません。女性も男性も性的少数派の人も、障害のある人もない人も、前より多様な人々が、より経済的に自立できるような産業の形が生まれることこそ、本当の復興だと思います。そうした新しい形をつくるために、一緒にがんばれたらいいと、心から願っています。



『ミラノとジョネットのご縁を繋いで下さった深山さんから頂いたメール』

本日はまことにありがとうございました。
現地のみなさまは、準備から始まり、大変にお疲れになられたことと思います。
イベントのご成功おめでとうございます。
ミラノ・マリアローザのメンバーは、今回のイベントにSKYPE参加させていただけて、
大変感謝しております。
以下、写真付きで、窪さま、瀬野さまへ彼女たちが送ったメールです。
イベントの直前と直後に、マリアローザからは私へ電話連絡がございました。
飛び入り参加の仲間もおり、開始前はかなり興奮気味でした。
草野様にはお会いできたか?と尋ねたところ、お顔はどなたかよくわからなかったが、
今後、どんなお手伝いができますか?と質問したことに対して、特に精神的な支えが必要との
お答えをくださっていたのは、草野様だと思うと言っておりました。
直接、ミラノの女性たちが、現地のみなさまと交流できたことは、とても大きな一歩だと思います。
本当は、昨年のクリスマスにお知り合いになれた現地の女性たちのお名前を読み上げたかったようでしたが、
日本語の発音に自信がないのと、メッセージが長くなりすぎるということで、断念しました。
私に、Buongiorno は、コンニチワでいいか?と繰り返し聞いておりました。
どこの国でも、女性は可愛らしく、美しく、たくましく、魅力的です。
これからもぜひ仲良くしてやってください。
どうぞよろしくお願い致します。
夜に入って、ヒョウが降って参りました。いよいよ冬です。
間もなく、日本との時差が8時間に変わります。
どうぞお疲れが出ませんように。
貴重なイベントに参加させていただき、改めましてお礼申し上げます。
深山

> Gent.mi Kubo san Hiromy Seno san
> grazie per questa bellissima esperienza, anche per noi molto
> impegnativa ma ricca di emozioni.
> Speriamo di poter ritrovarci il prossimo anno.
> Se possibile indicateci il link per poter vedere l'evento per intero.
> Grazie!
> Buona serata!
> Alleghiamo la nostra foto!
> Maria Rosa, Cristina, Francesca e Rosi                                          
『イタリア・ミラノから スカイプ参加の皆さんから頂いたメール』
度は大変貴重な体験をさせていただきありがとございました私たちにとりましてもとても難しい課題ではありましたが感動に満ち溢れたひとときでした
また来年もお会いできますことを祈っております
もしイベント全容を拝見できるリンクがありましたら教えてください
ありがと
お疲れさまでした
私たち写真を添付します
マリアローザクリスティーナフランチェスカロージィ より


『Visaka Dharmadasa さんはニューヨーク出張となり、事前にコメントを頂きました』

1)      スマトラ島沖地震による津波では、どんな被害がスリランカの女性の身に起きましたか?

女性たちは逃げおくれました。その理由は、女性たちが丈の長いサリーを着ていて早く走れなかったからです。また、若い頃から泳ぎを教わっていないので余計です。
高い木に登るのは男性の仕事だったからです。女性の被害が大きかったです。
その後わかった事は、難民キャンプで女性たちは、言葉の暴力、性的暴力、といった暴力を受けた事です。また、女性たちのプライベートスペースはありませんでした。
女性たちは、法律の知識が有りません。自分を守るため、自分が失った土地や家、財産を手元に取り戻すための法律的知識はありません。
災害は、どこにいっても起きます。金持ちでも、誰でも、襲われます。

2)      津波災害直後より支援に入られたと聞いていますが、具体的にどのようなことをなさったのですか?
私が住んでいるところは内陸部で津波被害はありませんでした。それまで、戦争未亡人の問題に取り組んできましたが、NPOの中に、津波復興の分野を設けました。
女性たちと話し合いの場を作りました。ここで得た教訓で、東日本大震災の被害に遭われた皆さんへの私からの最も大切なメッセージは、「あまり深く考えずに、今日を生き延びよう。1日、1日を大切に。とりあえず今を無事に過ごしましょう。」ということです。

さて、皆で考えるために、互いに守り合うために、被災地域でネットワークを作りました。そしてその後、被災を受けていない大都市、例えばコロンボとも繋がるネットワークを作りました。
その後私たちは、コミティグループを作りました。難民キャンプの中で、料理を作る、子どもをみる、高齢者を守る、土地の事を話す、女性の問題を考えるグループを、2人でも3人でもいいので作りました。支援物(金)を貰ってどのように配るか、そういう事を考えるグループも作りました。
スリランカでは大家族で住んでいるので、難民キャンプに長く住む人はいませんでした。3日とか1週間位でした。しかし、この1週間過ごすにも、このコミティは大切でした。

3)      緊急援助の後はどのような支援をしましたか? 何が必要でしたか?

仕事という事について、同じコミュティのひとが集まって話しました。新しい仕事を作るスキル、法律スキル、互いにどうやって協力すればいいか、語り合いました。
すごくたくさんの国際援助を受けました。その援助を仕事に繋ぐ段階に入り、漁業と農業の家族は特に被害が大きかったし、シングルウーマンが立上がるために、元の漁業に戻るのではなく新しく仕事を作るための能力をつけさせる(勉強)ために国際援助金を使いました。
自分でパンを焼いたり、ケーキを作ったり、裁縫、鰹節作りなど、今まで家庭の中でやっていた事にスキルを加えて、新しい仕事につなげてあげました。
心のケアにも国際援助金を使いました。
家の再建のための援助金も多かったので、建てる前に、どういう家が良いか話し合う場も作りました。
都心から弁護士を呼び、自分のセキュリティ、子どもを守るため、家や土地の再建のための勉強会もしました。
コミュティセンターを作り、今度災害がおきたらどう逃げるか、災害防止の勉強を始めました。


『イギリス・ノッティンガムのナッシュさんはバカンスで滞在中のフランスからご参加』

 ※ナッシュさんから頂いたコメントの掲載に、少々お時間を頂きます。












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