ちっちゃくてよくわかりませんが |
瓦礫処理されることになりますが、瓦礫ではありません。 |
剥がされたコンクリートの基礎も片付けれました。 |
年末年始、南三陸・気仙沼と仙台を結ぶ高速バスは、補助席も一杯になるほど混みました。ホテル観洋前で乗降される方が多かったですが、折角の年末の帰省、仮設住宅には狭くて泊る事が出来なかったのでしょう。
さて本日、町を歩いていて、3人のおばあさんが立話をするほのぼのとしたお姿を見つけました。
「311」前ならどうということのないことですが、震災後のこちらでは、目にすることのない光景なのです。
つまり、町でみかける「ひと」は、走っていく車の中か、役場やコンビニなどで働く人。或は、ボラティアの集団ばかりで、高齢者やこどもが高台の仮設住宅から下りてきて、生活の断片を町の中で見せる事は殆どなかったのです。ですから、高校生が2人、3人と連れ立って下校する様や、さもないおばあさんたちの立話姿にパッと目が飛んでいくのです。
「いいなあ…」しばし立ち止まって、眺めてしまいます。私たちが活動を続けるのは、こうした光景を取り戻したいからです。
問題は目に見えないものです。自殺が出、認知症が進み、50代中心にお話の最中堪えきれなくなった涙をこぼされます。
それでも、僅かずつではありますが、変わってきています。
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